2008年02月06日
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郊外新興住宅街と古い街の2つの顔を持つ浜田山の謎

Written By: 川俣 晶連絡先

 最近、散歩で井の頭線浜田山駅方面へよく行きます。

 そこで、いくつか不思議な状況に気づきました。

  • 急行停車駅ではない浜田山駅であるのに、周囲には厚みのある商店街がある
  • 浜田山駅の少し手前で交差している鎌倉街道は、他の道と比較してさほど立派ではないが車の交通量が多い
  • 浜田山付近以西の井の頭通り沿いや、近くの環八沿いは、大型量販店っぽいムードの店などがあり、郊外新興住宅街というムードがある
  • 杉並区のコミュニティバスのすぎ丸は、下高井戸と浜田山を結んでいる

 つらつらと考えているうちに、これは道路交通の歴史的問題として解けるかもしれないと気づきました。

鎌倉街道の重要性 §

 鎌倉街道とは、鎌倉時代に鎌倉と各地を結ぶために整備された街道の総称であり、それ自身重要な意味を持ちます。既に失われた街道もありますが、価値のある街道はその後も存続して使われていたと考えられます。

 そのような意味で、鎌倉街道の通行量が特に多いことは納得できます。

鎌倉街道と人見街道の交点 §

 浜田山という土地は、鎌倉街道と人見街道の交点にあたります。現在の人見街道は浜田山が起点ですが、本来は方南通りと連続した東西方向の重要な交通路です。そして、当然のことながら江戸時代には井の頭線も水道道路も環八もありません。鎌倉街道と人見街道はこのあたりでの最重要の交通手段だったのでしょう。それゆえに、その交点が街として栄えたのは当然の成り行きだったのでしょう。

重要道路のシフト §

 昭和に入ってから、東西方向の新しい交通路として井の頭通りが、南北方向の新しい交通路として環八が作られます。

 これらの道は、人口密集地を避けて建設されているようにも見えます。土地買収のコストなどを考えれば、当然の成り行きですね。

 その結果として、これらの道の周辺はあまり繁栄しておらず、逆に「道ができた」という出来事を契機に繁栄が始まったと考えられます。

 ということは、もっと郊外で典型的に見られる発展のメカニズムと同じものが作用したと考えられます。その結果として、浜田山駅周辺の「古くからの街」に隣接して「新しい街」が生まれたとも考えられます。

下高井戸と浜田山の類似性 §

 杉並区のコミュニティバスのすぎ丸は、下高井戸と浜田山を結んでいますが、以下の点で両者は似ています。

  • 急行停車駅ではないが、厚みのある商店街を持ち、利用者も多い

 本当に繁栄した場所は、民間の交通機関が積極的に進出するでしょうが、こういう微妙な場所を結ぶのはコミュニティバスの仕事なのでしょう。

だから面白い §

 浜田山駅の商店街には、なかなか骨のある書店があります。小さいながら独自性を主張する書店です。しかし、近くにブックオフもあったりします。

 井の頭通り沿いには外車を売る店があったり、ダイソーやエディオン高井戸があったりします。人見街道の先にはオリンピック、環八を少し先まで行くとヤマダ電機もあります。高井戸のゴミ焼却場の高い煙突はこのあたりのどこからでも見えます。

 高井戸あたりまで含め、浜田山周辺はとても面白いですね。

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